パソコンが使えない若者が増えたと言われています。
その主な原因として、スマホの普及があげられています。
確かにスマホは便利です。パソコンほど面倒なことを覚えなくても操作ができます。
携帯性が高く、外出先でも容易にネットへアクセスができます。
ウェブサイトへのアクセスの比率はスマホがパソコンを上回り、その差は広がる一方です。
パソコンを使う必要を感じない若者が増えるのは当然かもしれません。
しかし、これは表面的なことに過ぎません。原因はもっと別なところにあるのです。
Windowsが普及する以前
1995年にWindows95が発売される以前にはWindows3.1が存在しました。
しかし、あまり普及はしていませんでした。
一番の理由は、当時のパソコンのスペックが低かったことです。
そのため、パソコンのOS(Operating System)いえば、マイクロソフト社のMS-DOS(エムエス ドス)が一般的でした。
MS-DOSは、コマンドプロンプトで命令を実行する、CUI(character user interface)というタイプのOSです。
CUIのMS-DOSを操作するにはずいぶんとハードルが高いものでした。
特にパソコンに不慣れな人にとってはまったく訳のわからないものです。
当時パソコンを使える人間といえば、特殊なスキルを持った人かオタクというイメージでした。
パソコンを使えない人が多数派だったため、パソコンを使えなかったからといって社会で無能扱いされるようなことはありません。
悪夢の始まり
ところが、Windows95が発売されると風向きが変わりはじめます。
Windowsなら面倒なコマンドなど覚えなくても、GUI(Graphical User Interface)により直感的な操作が可能です。
それでも、Windows95の発売後はまだ普及が緩やかでした。
ハードウェアの性能不足に加えてソフトウェアの種類が少ないため、Windowsを使う必然性がなかったのです。
パソコンが使えない人たちも、自分はぜんぜん困らないと高をくくっていられました。
所詮、パソコンはオタクやマニアな人たちが使うものという認識です。
Windows98の悪夢
駄目押しするかのように新バージョンが発売されます。
このころになるとパソコンの性能が上がってきて、それほどストレスを感じずに使うことができるようになります。
それまでMS-DOSが優勢だった職場にも、Windows搭載のパソコンが採用され始めてきました。
さらにインターネットが普及しつつありました。WordやExcelも普及してきます。
Windows以外では、スケルトンのマッキントッシュが発売され、デザイン性の高さから大ヒットしました。
オタクではない人や若い女性もパソコンを使うようになったのです。
パソコンは特殊な人間だけが使うものではなくなりました。
文明社会でパソコンから逃れることは困難になったのです。
頑なにパソコンを覚えない人たち
それでもまだパソコンを覚えることを拒否する人がいます。
パソコンとは特殊な人間が覚えるものであって、自分とは無縁のものだと考えています。
覚えるにしても、最低限ソフトを操作するといった程度で、それすら満足に覚えようとしない人までいます。
いい歳した人間が、いちいち部下に頼らなければ仕事にならないのです。これでは新人と大差ありませんね。
さらに、比較的若い世代でも、積極的に覚えようとしない人がいました。
真剣にパソコンを覚えようとする人は少数派です。
呆れるような状況ですが、パソコンを覚えない人たちはまるで他人事のようでした。
どうやら彼らにとっては、パソコンは非常識なものであって自分とは無縁なものだという認識のようです。
パソコンを覚えるのには義務教育レベルの知能があれば十分です。それができないというのなら、小学生以下ということになってしまいますね。
親子そろってパソコンが使えない
パソコンが使えない人は、パソコンが使えないと社会で困るといった発想がありません。
彼らに子供がいても、その子が成長したときにパソコンが使えなくて困るとは想像がつかないのです。
自分がなんとかなっているから子供も大丈夫だと考えるのです。
しかし、社会に出たばかりの新人に部下はいません。パソコンがわからないからといって任せる相手はいないのです。
パソコンが使えない若者は、社会に出て初めて気づきます。自分はパソコンが使えず、それでは困るということに。
本来なら親の世代がこういった現実を教えておかなければなりませんでした。
しかし、危機感のない親世代はそれを怠りました。
その結果、若者が困るという事態になったのです。
パソコンが使えない若者が増えたのは、スマホが原因の一つかもしれません。
しかしもっと深いところでは、パソコンが使えない親の世代が原因だったのです。